2011年10月17日月曜日

ポールラッシュ博士と記念館

Seisen-ryo in Kiyosato
昨日お祭り(ポールラッシュ祭り)で行った清泉寮は清里の開拓で昭和13年に作られたのですが、開拓はアメリカ人のポールラッシュ博士が人生をかけて戦中戦後の厳しい中に取り組んだ大事業でした。
一昨日、お祭り初日の夜にポールラッシュ博士と当時苦楽を共にした廣嶋(名取)都留さんがその頃についての様子を語っていただいた会がありました。 
Mrs.Tsuru Natori, talking about Dr.Paul Rusch
ポールラッシュ博士が最初日本に来日されたのは関東大震災の復興ボランティアとしてだったそうで、今ここで当時のこと、博士のことを311の震災後である今説明することはとても意味深いことだと都留さんは指摘されていました。 都留さんはポールラッシュ記念館の中で見ることのできる清泉寮の歴史についてのDVD映像の中でも登場されています。

inside the Paul Rusch Memorial Center
his study
panel about "GHQ years I"
 ...and other panels...
開拓当時は東京都の水がめのためにダムが建設された東の丹波山村から移り住んだ人たちが多くいらしたようで、高冷地で農業の営むことが厳しかった清里でポールラッシュ博士とともに開拓に取り組んだそうですが、日米が対立する戦争がある混乱のさなか、どんなに大変なことだったのでしょう。。。
博士は清里が日本の農業のお手本になるような開拓地になるよう尽力されたのですが、それだけではなくアメリカ全国でチャリティ活動を行って聖路加国際病院の復興にも多大な貢献をされたそうです。
 
当時戦争もあったために日本を離れたり戻ったりと苦労が尽きない状況だったようですが、最後は聖路加国際病院で亡くなられたのことで、祖国を離れ、まさに人生をかけて日本を支えようとされたのだなという事実に感慨がこみあげます。 

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